このテーマをインストール

aisaka-madoka:

“強面の社長が教えてくれた人たらしテク”

「飲み会不要」

付き合いが大切だと言う人間とは距離を置け。懇親会も出来るだけやんわりと断れ。人間関係は大切だが、賢い人間は皆が飲みに行く時間に不労所得を作る。

「成功者と失敗者の話しは聞くな」

すでに成功している人間や、うだつのあがらない人間の話はどうでも良い。それより頑張り屋さんに近づけ。実は頑張り屋さんに近づくと誰よりも「運」を吸収出来る。

「テレビ好き」

従業員を雇うなら、テレビ好きな人を雇え。どうにでもなる。お前が相当馬鹿でも、馬鹿だとばれない。

「見栄をはるな」

ロレックスや高級車を買っても他人に話したり、高級車で取引先へ行ったりするなよ。「もっと、俺にかまってくれ、俺すげーだろ?」と言っているようなものだ。賢い奴は燃費の良い車に乗るんだ。海外で社長がベンツに乗るのは費用対効果が高いからだ。

「忙しいとか言うな」

良く忙しい、時間が無いと言う奴がいるが、「もっと、俺にかまってくれ、俺人気者でしょ?」と言っているようなものだ。逆に非効率な奴だと思われているぞ。本当に忙しかったら今頃病院にいる。忙しいと言う暇もないはずだ。

「嫌いな人の噂を立てない」

自分の貴重な時間を、噂の為に嫌いな人に与えてあげる必要はない。しかし、もし好きな人がいたら「良い噂」を立ててあげろ。他人を介して入った情報は効果倍増だ。

「対応の逆転」

自分よりも立場が低いと感じた人に対しては、謙虚に親切に腰を低くして接する。あなたより立場がはるかに高く、皆がびびっている人に対しては、友達と話す感覚で。タメ口も場合によって織り交ぜる。両者ともお前を覚えてくれる。

「ゆっくり短く話す」

相手に分かりやすく伝える為ではない。上げ足を取られないように考えながら交渉する為。

「無理な要求」

交渉のはじめに無理なお願いである事を告げる。これによってこちらが、がんがんと要求出来るようになる。

「あいまい」

つもりや思うといったあいまいな言葉を使わない。言葉尻を取られるとスムーズに話が進まない。どちらかというと相手に使わせて「思うってどういう事だ?」とたたみかける。感情的になっても駄目だ。但し話した内容は一語一句覚えておけ。自分で話す内容も単語も全て辞書で調べて事前に把握しておけ。

「口角を上げなくても良い」

人によっては口角を上げている人間を不快に感じる人もいる。それより口を開けて笑え。口を開けて笑わないのはまだ心を開いてない。接客業なら口角を上げて良いが、俺は接客をする側(従業員)ではないので口角はどうでも良い。

「話し方」

話す時に口に手を持っていくな。何かやましい事があるか、嘘言っていると思う人もいるぞ。話に自信があったら顔周辺に手は近づかないはずだ。

「罪悪感を感じない」

悪い事をする必要はないが、良い事だけやろうとすると何も出来なくなる。この世の善悪は人によって違う。「負い目の無さ」を持って行動出来るのが一番良い。

「webの世界は成果が出るまでの潜伏期間が長い」

毎日面倒な事を1年続けてみる。99%の人間は面白いように途中で挫折する。「意味が無い」と思い辞めていくからだ。これでライバルが大幅に減る。毎日3年続けてみる。その市場は少しだけお前の好きに出来るようになる。10年後、お前を馬鹿にしていた人間が頭を下げて戻ってくる。

「リスク分散」

事業は複数所有しておくべき。何カ月働かなくても自動でお前の口座に入金がある状態を複数所有しておけ。つまり収入源を何個も持っておけ。収入源が一つだけしかないとか話にならんよ。

「国内に固執するな」

いつ国内から脱出しても収益を途絶えさせない仕組みを作っておけ。嫌な言い方だが、日本からいつでも脱出出来る準備をしておく。

「雇われなら収入0と考えろ」

もし雇われなら、給料0円と考えておけ。プライベートな時間全てを収入源作りにあてろ。帰宅後のテレビや無駄なおしゃべり、買い物はお前の従業員や、消費者にやってもらえ。だがお前が人を雇う立場なら絶対するな。

「役に立つ物を意識するな」

役に立つ物って自分で分かるわけないだろ?他人が決めるんだから。それより「誰もここまで徹底してやっていないだろう」という物を作れ。

「時給」

時間で仕事を計算するな。日本だけだろ、そんなの。一瞬一瞬で仕事を考える。「瞬給」で考える。

「大声」

声が大きくうざい奴には、そいつより「大声」で話せ。いつのまにか相手の声は「普通」になっている。

「無表情」

普段は無表情でいろ。ここぞという時に顔をくしゃくしゃにして笑え。いつもへらへら笑っている奴よりよっぽど信用してくれるぞ。

「口下手を演じる」

言葉が流暢で口が達者なのは一番信用できない。口下手だと何故か物が売れたりする場合が多い。

「言葉で信用させるな」

何か一つでも何年でも毎日継続していれば勝手に信用される。信頼される為のテクニックや努力などいらない。

「好かれようとするな」

媚を売っていると簡単に見抜かれる。人に好かれる為なら何でもするのか?決断も人任せか?実は八方美人が一番嫌われる。それより人を好きになれ。

「オーバーに共感する」

他人の喜びをそいつ以上に喜ぶフリをしろ。オーバーにやれば、その場はとにかく面白い空気になる。そのうち他人の幸福を素直に喜べるようになる。

「マイナス思考人間を遠ざける」

マイナス思考は確実に感染する。運を上げるコツはマイナス思考人間に近づかない事。マイナス発言には「沈黙」で応戦!

「愚痴を聞き流す」

愚痴は不幸を引き寄せる。自分の愚痴だけなら注意しておけば防げるが、一番厄介なのが、他人が愚痴を言いだす事。指摘すると火に油なので「まぁ、そうだね」と聞き流せ。

「他人の悪口」

他人の悪口を言う奴は、気付かずに「自分の弱点」を話している場合が多い。他人の悪口を賢い人に言うと、お前の弱点がばれてしまうぞ。

「挨拶に先手あり」

先に相手から挨拶をされると、相手に合わせる形になる。先手を取って自分から挨拶をしてやれ。これで主導権はお前のものだ。

「とりあえず動く」

動いた結果何もなかったとしても気にするな。でも動かないと確実に何もない。

「毎日続ける特権」

継続は一流のスポーツ選手や成功者だけの特権ではない。実は誰にでも権利がある。こんなお得な権利はそうそうない。

「テレビをちょっと我慢する」

テレビを見る事を辞めれば、その空いた時間がお前の時間になる。その空いた時間で生産的な事が出来ればさらに人生がお得に!

「少し早く」

約束の時間や出社時間より少し早めに目的地へ到着すると、その時間と空間をあなたが独占出来る。「まだ相手は来ないのか?」と怒るな。遅刻者には沈黙で対応すれば、主導権を取れる場合もある。

「話を聞く」

自分から会話のネタを考えずに済む。エネルギー消費も少なくなるし、相手からも好印象。但し話の内容と言葉は覚えておけ。それが相手の弱点になる時がある。

「メモを取る」

一生懸命記憶する必要が無くなる。さらに話す相手も悪い気がしない。

「名前は家族ごと覚える」

相手の名前はもとより、兄弟、両親、友達、ペットの名前など会話で出現した名前は全て覚えておく。確実にお前をいつまでも覚えてくれる。

「沈黙する」

これほど相手の感情を揺らし、主導権を取れる方法はない。沈黙に耐えきれずノウハウをポロリと話す人もいる。実はおしゃべり程損する事はない。タイミングを見極めて有効に使うべし。

「尊敬出来ない人に対するお辞儀」

なにも尊敬出来ない人の為に頭を下げる必要はないが、一応頭は下げる癖をつけておけ。一見相手にお辞儀をしているように見せかけておきつつ、心で自分に頭を下げる。頭は自分に対して下げるもんだ。

「親切を受けた時にすいませんと言わない」

なんで悪くないのにあやまる必要があるのか?代わりに「ありがとう」と言い放て!

「相手の話」

相手のつまらない話に対して討論する必要無し。「そうですね!なるほど!」と共感し満足させてろ。そうすれば退屈な話も終わる。

「他人が見てない所でこっそり掃除や良い事などをする。」

他人から褒められて、無駄に照れてしまったり、会話の切り返しを考えたりする必要がなくなる。

「思い切りやれ」

中途半端は二度手間になる。思い切りの良さは非常に効率的だ。

「短く分かり易く伝える」

要領が悪い奴ほど書籍から得たような難しい言葉と専門用語を使い、長く話す。要点だけ噛み砕いて伝えれないんだ。戦場だったら部下を沢山死なせるタイプだな。お前はそうならないように「小学生にも伝わるように」話せ。

「体型にも気を使え」

顔に性格、体に生活が出るというが、太っている=自己管理出来ないと思われてるぞ。ダイエットは気の持ちようだ。

「老いた人と話せ」

時にお前が想像も出来ないような助言をしてくれる。

「孤独を恐れるな」

孤独が怖くなくなった時から、お前の人生はお前の物になりだす。本当の友達や大切な人は何年連絡をとってなくても、お前に対する態度は変わらない。

「理屈」

理屈やリスクを考えると他人に出し抜かれるぞ。動いてしまった後でどうするか考えろ。言っておいた事をやらない、考えて行動が遅くなるのはもはや「犯罪」だぞ。

「功績」

結果を待つ奴程、功績なんか無い。結果が出るまで待てない奴だから。出来る奴はそんな事忘れて、今やらなければならない事を地道に頑張っている。

「お墓参り」

強運になりたくば、先祖の墓参りに行け。お前を助けたがっている。

「健康」

健康になりたくば、風呂に入っている時に自分の体に触れながら「いつもありがとう」と感謝しろ。体も意思を持っているぞ。

「両親の不仲」

親の不仲は子供には解決出来ない。お前に出来る事は早く自立する事だ。両親の心配よりもお前自身を心配しろ。幸せになって恩返しだ。不仲は「神様が解決してくれる」と信じていれば良い。

「貧困、殺伐」

そういった映像やニュースを一切見るな。頭に残った映像は潜在意識に浸透する。裕福や癒し映像や写真でも見ておけ。

「ため息」

絶対にため息はつくな。間違いなくお前にマイナスイメージが集まってくるぞ。悪霊を呼び寄せているようなもんだな。それ以前に相手に失礼極まりないけど。ため息をしたくなったら周囲に聞こえないように、30秒位かけて長く息を吐いてみろ。結構落ち着くから。まぁ、瞑想みたいなもんだ。

ヒステリックな年寄りが、若者の
しょうもない楽しみを奪おうとする姿を見ると、オレは決まって明治44年の「野球害毒論」を連想する。この大々的ネガティブキャンペーンを打ったのは朝日新聞で、4年後、舌の根も乾かぬうちに高校野球の前身大会を主催することになる。あれが教育に悪い、これが青少年にけしからんなんて主張は、大概こんなもんだ。

土人どもがどれほど一方的にタブーを押しつけようとも、魔女狩りを繰り返そうとも、健やかなる少年はエロを目指す。心は自由に空を舞い、生命は道を見つける。それは誰にも止められない。

2010-03-24 - 挑戦者ストロング

生命は道を見つける

(via ginzuna)

(via

otsune

) (via

reretlet

) (via

scudroid

) (via

fukumatsu

) (via

stratums

) 2010-03-30 (via

yasaiitame

)

(via gkojax)

(via quote-over1000notes-jp)

(via souryoukomi)

(via tk1024)

(via juspan)

(via awordlikealeaf)

(via twinz1999)

(via lovecake)

(via hkdmz)

(via highlandvalley)

493 :公共放送名無しさん:2007/11/28(水) 11:06:02.26 ID:jvXjmsVR
↓ヤフーに出ていた中学生の恋空の批評。全てを物語る秀作。


映画館の中が休日ということもあってか、すんげーうるさかった。
僕も中学生だからまー周りからみたら同じなんだろうけど、
恋空はつまんねー。しかし、しかし、それ以上に椅子の上やらコップをおく場所やら、
ゴミはおきっぱなしで、ときどきコンビニの袋がそのまま椅子にのこってたり、
お菓子の食べカスがそこらじゅうにばらまかれてて、そーゆー人が感動して泣いてる映画。
感動する人間のレベルも最低。



- 中学生の恋空の批評 続・妄想的日常 (via mitaimon, naha-blog)
(via tkdsngn)

493 :公共放送名無しさん:2007/11/28(水) 11:06:02.26 ID:jvXjmsVR
↓ヤフーに出ていた中学生の恋空の批評。全てを物語る秀作。


映画館の中が休日ということもあってか、すんげーうるさかった。
僕も中学生だからまー周りからみたら同じなんだろうけど、
恋空はつまんねー。しかし、しかし、それ以上に椅子の上やらコップをおく場所やら、
ゴミはおきっぱなしで、ときどきコンビニの袋がそのまま椅子にのこってたり、
お菓子の食べカスがそこらじゅうにばらまかれてて、そーゆー人が感動して泣いてる映画。
感動する人間のレベルも最低。



- 中学生の恋空の批評 続・妄想的日常 (via mitaimon, naha-blog)
(via tkdsngn)

私の父と私は血のつながりはない。
血縁上の父親は私が生まれてすぐ出ていったそうだ。
だから顔も名前も知らない。

私が2歳か3歳かの時に母が再婚して今の父と一緒に住んでいた。
そしてすぐに弟も生まれて何不自由なく父と血が繋がっていないことを除けばごくごく平凡な家庭だった。

小学校1年の時母が突然いなくなった。

学校から帰ると母がいなかった。
弟の幼稚園お迎えに行っていると思ってテレビ見ながら待ってたが1時間たっても帰ってこない。

幼稚園から電話が来て

「お母さんは?」

と聞かれて

「家にいない」

と答えた。

さすがに不安になり母の実家(車で10分くらいの距離)に電話するとおばあちゃんがすぐに弟を迎えに行って、弟と家に来た。

おばあちゃんは家に来てテーブルの上にお母さんからの置手紙をみつけ、おばあちゃんが父やおじいちゃんに連絡をしたらしくおじいちゃんやおじさん、父も仕事を切り上げ帰ってきた。

父は青ざめていたが、不安な顔をしている私と弟に気づいて

「大丈夫だよ、でも、お母さんしばらく家に帰ってこれないみたい」

と言ってくれた。

「しばらくってどのくらい?どこにいったの?」

と聞きたかったが子供から見てもみんな混乱していたので聞けなかった。

結局母は帰って来ず、私たち兄弟はそれから1カ月位、私と弟は母の実家に預けられた。

このまま父もいなくなるのではと不安だったが父は毎日必ず顔を見に来てくれた。

父や祖父母、おじさんも母を探している様子で、毎日どこかに電話したり出かけたりしていた。

お母さんはいつ帰ってくるか。誰に聞いても明確な答えは返ってこなかった。

1カ月くらいが過ぎて母が帰らないまま私たちは家に戻った。

久々に帰った家は、前と何も変わっていない1か月前に家を出た時のままだったが、母がいない事が実感してしまい弟と大泣きしてしまった。
私たち2人を抱きしめて

「お父さんがいるから大丈夫」

といった。

「お母さんは帰ってこないの?」

と泣きじゃくりながら聞いたが父は何も答えなかった。

それから父は朝、早く起きて朝食を作り私と弟に食べさせて弟を幼稚園に送り仕事へ、幼稚園のお迎えは主におばあちゃんがしてくれてそのまま家で私を弟の面倒をみて夕食を作り食べて、父が帰ったらおばあちゃんは帰るというパターンになった。

母がいなくなってさみしい思いをしているだろうと察しているのかおじいちゃんや、おじさんもよく遊びに来てくれた。

弟が幼稚園を卒業して弟を迎えに行く必要が無くなってもおばあちゃんはしょっちゅう家にご飯を作りに来てくれていたが父もおばあちゃんばかりに負担はかけられないと考えてか早く帰ってきて料理をするときもあった。

父の料理は正直あまりうまくなかったが気を使って

「おいしいよ」

と言っていた。
でも母の料理を思い出しさびしくなった。

小学校は父兄が協力が必要な行事がたくさんあったが父はいつも参加してくれた。
どうしてもこれない時はおじいちゃんが来てくれた。

基本給食だったが遠足や部活の試合の時なんかは朝早く起きてお弁当を作って送り出してくれた。

父は1人で父と母の役目をこなしていた。
子供から見ても大変なのが分かったのであまりわがままは言わず困らせたことも少なかったと思う。

何度か父に母について聞いたこともあったが父は答えに困っていた。
小学校高学年にもなると母のことを話題にすることも無くなった。
というか何となく触れてはいけないことのようになっていった。

でもやっぱり内心は気になっていて死んだのか?とも思ったが葬式はしていない。
何か悪い事をして(交通事故とか)刑務所にいるんじゃないか?

とかいろいろ考えてはみたものの、父と母はけんかして母が怒って出ていったのだと結論をだした。
それ以外思いつかなかった。

そして中学生にもなるとだんだん母はもう帰ってこないと思うようなって、母のことが気になることも無くなった。

中学2年か3年かは忘れたが進路での3者面談の時自分は就職をして定時制の高校に通うことを希望した。
父に負担をかけたくなかったからだ。

父には本当に感謝していた。
本当の親でないのになぜ本当の子供のようにできるのか。
すごいと思い、尊敬し父のようになりたいと思った。
だからこその決断だった。

私は父にそのことを伝えた。
いつも落ち着いている父が珍しく声を荒げて

「本当の親ってなんだ?お前の前のお父さんや、お母さんはお前たちのことを捨てた。
そんな奴が本当の親って言えるのか?本当の親ってのは自分の事より子供の事を考える人間のことだ。
血のつながりなんか関係ない。」

自分の母や前の父親が自分の事を捨てたってのは薄々気づいていたがただ断言されてしまうとショックだった。

でもそれよりも父が私の事を「本当の子」だと言ってくれたことがうれしかった。

「お前の気持ちはうれしいが、感謝してくれているならお前が本当に進みたい道に進んでほしい。」

気づいたら私は泣いていた。
「ありがとう」と言いたかったが照れ臭くて言えなかった。

父も先生も泣いていた。
帰り際先生が

「素晴らしいお父さんだ。大事にしなさい」

と言ってくれた。

私は普通の高校へ進路を決めて猛勉強した。
その結果、割と頭のいい進学校に合格できた。
卒業式は父が仕事を休んで来てくれた。
父は泣いていた。

その夜、父は私の部屋に来た。

「お前も中学卒業か、早いもんだな。高校生でも大人とは言えないが自分の事は自分で決めてもいい頃だろう」

父が何が言いたいかわからず頭の中は「??」だった。
そしてすこし間があった。

「お母さんとあってみるか?」

「え?居場所知ってるの?」

父は母の居場所を知っていた。
私が会うつもりなら連絡をとるという。

「会う」私はすぐにそういった。

父は弟にも話をした。
最初弟は今さらあっても。。。という感じであまり乗り気でない感じだったが「今会っておかないと絶対後悔する」と(根拠はないが)説得した。

2,3日後に弟と私で国道沿いのファミレスで母に会う事になった。

会うまでの間、いろんなことを考え、混乱した。
なぜ出ていったのか、私たちをどう思っているのか、今何をしているのか、聞きたいことは山ほどある。

でもそれを聞いていいのか、聞いたところで何になるのか。それならば会わない方かいいのか。

一番聞きたかったのは私たちを捨てた理由はやむを得ない事情があったのではないか?それを母の口から聞きたい。ということだった。

会う当日は夕方から会う事になっていた。
春休みで受験も終わっていたので普段は昼まで寝ていたが8時には目が覚めて一日中そわそわしていた。

弟は部活に行ってた。
「あと数時間でお母さんと会う、数時間後私たちは何を話しているんだろう」そればかり考えていた。

弟が帰ってきて二人で自転車でファミレスまで行った。

ファミレスの店内に入ると店員の「何名様ですか?」より先に母が手を振っていた。

母の席に着く。
母は自分の記憶の母よりかなり老けておばさんになっていたが、遠い昔の記憶の片隅に残っていた母だった。

母を直視できず、10秒位間があった。
何を話せばいいのか分らなかった。

「久しぶり」

それが10年振りの最初の母の言葉だった。

母はいろんなことを聞いてきた。
最初は緊張のため母からの質問に答えていただけだったが少しづつ段々自分から話が出来るようになった。

学校の事、友達の事、進学の事、小学校のころ鉄棒にぶつかってでっかいたんこぶを作ったこと、部活でもう少しで全国大会に行けなかったこと。

いつの間にか止まらなくなっていた。
聞いてほしい事がどんどん出てきた。
母はニコニコ聞いてくれていた。

あまりに私がしゃべってばっかりいるので弟が

「自分ばっかしゃべりすぎだよ」

と諭された。

私は母がいなくて寂しかったことはない。
と自分で思っていた。

でも母と話していると私は母に聞いてほしかったことが止まらなかった。
きっと母がいなくてさみしかった。
母に会いたかったが自分の気持ちを押し殺していただけだったと気付いた。


楽しかった。
あっと言う間に時間が過ぎて、窓の外はすっかり暗くなっていた。
先日買ってもらったばかりのPHSが鳴った。
父からだった。

父は

「久々なんだからまだ話しててもいい」

と言っていたが母はあまり遅くなっても危ないからとその日の面会は終了となった。

最後に母は

「自分勝手な母のせいで苦労掛けたと思います。本当にごめんなさい。
本当に身勝手なお願いだけどたまにでいいから今日みたいに会いたい」

母は泣いていた。

私も弟も二つ返事で了承した。

「私子、弟男、今日は本当に本当にありがとう。優しい子に育ってくれてうれしい。」

「お父さんに感謝だね」

しきりにそう言っていた。
私たちがお父さんに感謝しなさいという意味なのか、それとも、母自身が父に感謝しているという意味なのか分からなかったが、多分両方の意味だろう。

帰り道、母はちゃんといて私たちの事を気にかけていてくれた。
これからは母と話が出来る。
そう思うと嬉しくてたまらなかった。

一番聞きたいと思っていた、母が出ていった理由などどうでもよくなっていた。

家に帰り父に今日のことを報告した。
嬉しかった、楽しかった。
興奮気味に話す私たちの話を優しく聞いてくれた。

「もうお母さんとは暮らせないの?」

深く考えずに言ってしまい、まずい事聞いてしまったと思った。

父は少し暗い顔をした。

父「2人は母さんと暮らしたいか?」

私&弟「うん」

父「母さんが出ていった理由は聞いたか?」

私「聞けなかった。」

それでその話題は終わってしまった。

数日後

「ちょっとついてこい」

と私たち兄弟を連れ出した。

席が個室になっているレストランだった。
母が店の前で待っていた。

何が始まるのか何となくわかった。

父「2人に今までの経緯を全て説明する。そのうえで自分たちがどうしたいか決めてほしい。」

母は覚悟を決めたように話し始めた。

前の夫(私の血縁上の父)とは結婚する前から働かずパチンコばっかりして金が無くなると金の無心ばかりしていた、私子を妊娠したので結婚したのでこれを期に働いてくれるかと期待したがダメだった。
母の貯金を食いつぶして出ていった。
私子を一人で育てる覚悟をして実家に帰った。
でもまだ前の夫に未練があった。もしかしたら心を入れ替えてやり直したいって言ってくるんじゃないかって思ってた。
でも1年待っても2年待っても前の夫から連絡は無かった。

地元に帰ると地元の友達が心配して様子を見に来てくれた。
その一人がお父さんだった。

お父さんはしょっちゅう遊びに来てくれて、沈んでいた母を私子と連れ出してくれたり、面倒も見てくれたりしてくれた。前の夫の事も相談していた。

私が2歳の時に父は母に

「お前も、私子もまとめて幸せにしてやる」

とプロポーズして二人は結婚した。

程なくして弟男を妊娠⇒誕生となる。

それから3年程経って突然、前夫が母に連絡をしてきた。
前夫は母に復縁を迫った。
前夫への気持ちが蘇り、そのまま不倫関係になってしまった。
不倫関係は半年近く続いた。
前夫は父とは離婚して母と再婚しよう、言って来た。
子供たちは父に任せればいいと。

母は前夫に気持ちがあったが家族を捨てる決断は出来なかった。

そんな母にしびれを切らし前夫は父と子供がいないすきを見計らい半ば強引に母を連れ出した。
私子と弟男が気がかりだったが父は子煩悩で優しい人だから自分がいなくてもちゃんと育ててくれると思い、そのまま家出をした。

前夫は

「しばらくしたら、父に離婚の話をしに行こう」

と言っていたが、家出して1週間位で父と母の父が興信所を使って母の居場所を突き止めて、前夫の部屋に乗り込んできた。
興信所で調べたため一緒にいる男が前夫だということも知っていた。

父は怒り泣いていた。

「子供たちを捨てたのか?」

父の顔を見たら何も返事が出来なかった。

母父からは絶縁を言い渡された。

この時やっと母は自分のやったことの重大さに気付いた。
しかしもう取り返しが付かなかった。

気がつくと私は母を睨みつけていた。
母が気持ち悪い人間に見えた。

「キモい。っさいってい、あんたお父さんの気持ち考えたの?どんだけ苦労したかわかってんの!?」

私はそう言って席を立った。
目まいがして真っすぐ歩けず駐車場で吐いてしまった。
父はすぐに追いかけてきて、私の嘔吐が一段落すると

「今日は帰ろう」

といって、弟を連れてきて、母の所には戻らず帰った。

男を作って出ていった事は可能性として考えてはいたがよりにも寄って私を捨てた前父だったことがショックだった。
父より前父を選んだ母が許せなかった。

2,3日後、私は父に

「母を許すことはできない。母にそう伝えて欲しい」

と言った。

父は

「母の話はまだ途中だ。許す、許さないは全てを知ってから判断しなさい。母と会うのが嫌なら俺から説明する。」

私は母に会う気にはなれず弟も呼んで父からその後の話を聞くことにした。

夫と母の部屋に乗り込んだ後日、改めて話し合いの場が設けられて父が出した条件は

「慰謝料の請求はしない。その代わり親権は絶対に譲らない。面会も一切なし。実家からも絶縁。
もし、親権を望む場合は(多額の)慰謝料を請求する。」

というものだった。
母は混乱。

そんな母をよそに前夫はその条件を飲んで示談が成立してしまった。

「せめて面会だけも」

と懇願したが父は

「お前はもうあの子たちの親じゃない。」

といって取り合わなかった。

前夫は

「一人は俺の子じゃないんだし、子供なんてまた作ればいいじゃないか」

と言っていた。

父はこんな男に親権を取られなくて本当に良かったと安堵した。

母は元夫とは再婚せず、元夫のもとを去った。

1人で地元を離れて部屋を借りてアルバイトで生活をした。
私たちに会いたくて、父とやり直したくて謝罪の手紙を送ったが父は封を切らない状態で送り返した。
それでも何度も何度も手紙が来た。
あまりにもよく届くので、父は

「子供たちが気づいてしまうので手紙を書くなら職場宛にしてほしい事、
一度でも子を捨てた人間を親として家庭に戻らせることは出来ない事。子供たちの写真だけはたまに送る」

という事を書いて返信した。

そして母はたまに届く私たちの写真だけを楽しみに今まで生きてきた。

話を最後まで聞いても私は許す気にはならなかった。

「自業自得だよ。」

と呟いた。

すると弟がノートを手渡してきた。

「姉ちゃんが吐いてるときにお母さんから預かった。」

ノートは5冊有った。
そのノートは母の日記だった。

「いつか私子と弟男がこの日記を見てくれると信じて」という文章から始まっていた。

母が前夫の元を出た日から始まっていた。
約10年毎日欠かさず書いてあった。

最初の方は謝罪と後悔、ばかりだった。

「まだ悪い夢を見ているんじゃないかと思う。でも朝目が覚めると家族はない。
これが現実なんだと実感する。夫と子供を裏切った自分が悪い。」

「弟男と同じぐらいの男の子を連れた家族がスーパーで楽しそうに買い物していた。
私は家族がみんなで買い物に行くとかそんな日常的なことが実は最高の幸せなんだと気付かなかった。」

とか。段々と苦しいながらも現実を受け入れて生活をしている様子が見て取れた。

その後も必ず私たち姉弟の事が書いてあった。

「弟男!入学おめでとう。たくさんお友達を作って、たくさん遊んで、勉強も頑張ってね。
学校に行く時は車に気をつけて。ランドセルを背負った姿が見たかった。」

「私子、弟男、あけましておめでとう、どんなお正月を過ごしていいるかな。
今年が2人にとって素晴らしい1年になりますように。」

「二人の写真が届いた!弟男は少し大人っぽくなったかな。
声変りもそろそろ?私子は前髪があった方がかわいい!どんな生活をしてるんだろう。知りたい。すごく会いたい」

意外な事実も書いてあった。
弟のランドセルをはじめ誕生日やクリスマスには母は私たちにプレゼントを送っていた。

そのプレゼントは父方の祖父母からということで私たちに渡されていた。

ゆっくり丁寧に母の気持ちを考えながら読んだ。
母過ごした10年間を全部受け止めたかった。
全部読むのに3日かかった。

読み終わるとすごく母に会いたくなった。

私は弟と父に「母を許してまた一緒に暮らしたい。」事を伝えた。

父は真剣な顔で

「誰かを許すという事は、今後絶対にその事を持ち出して責立てたり、非難してはいけない。それが出来るか?」

私と弟は

「出来る」

と答えた。

父はニヤッと笑い。

「じゃーいこう!」

「え?今から?」

「こういうのは早い方がいいんだ」

3人で車で母の部屋に向かった。
修学旅行の前の様なウキウキした気分だった。
母の部屋はとなりの市だった。

母は突然の訪問に驚いていた。

「どうしたの?とりあえず入って」

「いや、ここでいい。確認したいことがある。」

父は私たちを見てから、母の顔をみてゆっくりと

「お前は母として自分を犠牲にしてでもこの子達を守る覚悟があるか?」

母は私たちそれぞれの顔を見つめて

「あります。自分の命に変えても守りgyふじこ!」

エグエグしていて最後の方は言えてなかった。

父は私たちを見て

「家族は1日でなれるもんじゃない。お互いを思いやって毎日少しずつ家族になっていくんだ。それが出来るか?」

私は深く頷いた。

父はもう一度母の方を向き優しく

「帰ろう」

と言った。

私は母に手を伸ばして

「家に帰ろう、お母さん」

と言った。

私は弟に

「あんたもやれ」

と目配せして弟も母に手を伸ばした。


母は私たちと手をつないだまま号泣した。
私は母を抱きしめた。

母はなんか言ってたけど、全然聞き取れなかった。
それでも

「うん、うん」

と返事をした。

私たちは家に帰った。
母は家に帰ってもずーっと泣いていた。

その夜はリビングに布団をひいてみんなで寝た。

布団に入って母といろんな話をした。

「私子も弟も本当に優しい。」

母は言った。

「お父さんに似たんだよ、親子だから」

私は言った。

「家族みんな一緒にいる。これって奇跡なんだね。」

母は言った。

4人家族に戻り私は高校生になった。
母はいつも幸せそうだった。

それから10年以上たち私はもうすぐ母になる。
親になる決意を忘れないためこれをまとめました。

http://kamibakusho.com/archives/51679114.html

(via

to39

)

泣いた

(via bochinohito)

これはきつい。

うちは片親で、父と母は離婚したわけではなく、また離別はこういうものではない(父は交通事故で寝たきりになった)のだが、こういう事件はおこった。ありがちだが、父が倒れたあとに父方の母からは母に対する確執があった。不愉快な諍いがあり、物心ついてからはそういうものから母を努力をするように生きてきた。

この話の父さんは、すごい人物だが、私子さんは、とても誇らしくこれを書いているだろうと思う。この父さんの許しと愛の形にとてもにたものを僕の母は持っていたのでよくわかる。あるとき、僕にとっては血がつながっている祖母なので、僕(と姉)とで(母は一緒ではなく)祖母に会いに行くときに、母は祖母について「おばあちゃんも、愛する息子がああなってしまって、耐えられないのだろうから、こちらに辛く当たるかもしれないけど、許さなくちゃいけないよ。」と僕にいい、僕は果てしなく長く泣いた。母はこれを悩みに悩んで冷静を保って苦しみながら、という様子でなく、あっけらかんと言ったので、とてもかなわないなと思った。愛という人間の属性は凄まじいなと思った。誇らしく思う。

(via toukubo)

r5zh7:

zatsukora:

[動コラ]ノンスタ井上(36)活動自粛図

zatsukora.tumblr.com   

エロくもカワイくもないコラ用に別アカウントを作りました
I created a separate account for non-erotic and non-kawaii.

夜の都内をブラブラ散歩しているときに、なぜか、ふと思ったのだけど、子供のころの願いは「親には上機嫌でいて欲しい」だけだった気がする。しかし、皆、そうなのではないだろうか。今でも他人に期待するのは、基本的に「上機嫌でいてくれること」だけかも。
そういえば、アメリカの国立ガン研究所(NCI)でも、マリファナが抗がん作用を持つという事実を認めたそうで、医療用としてのマリファナの使用に注目が集まっているわけなのですね。

話の途中にクイズを混ぜる人は、会話力が乏しいと同時に自己中心的な性格の持ち主であるということが判明したのですが、話にクイズを混ぜてくるくら いで絶交してしまうというのも少々大人げがないので、「この人には二度とクイズを出題しない」と思ってもらえる小粋な受け答えの3つのテクニックを伝授さ せていただきます。状況や気分に応じてレベルを調整してお使いください。



【レベル1】「わからない」の一点張り

会話中クイズの法則ですが、答えを知りたいというこちらの気持ちより、答えを言いたいという向こうの気持ちの方がはるかに大きいのです。こっ ちとしてはつまらないから話題が変わってもOKなくらいですからね。つまり、クイズを出題しても「うーん…わからないなぁ」ばかり言っていると、しびれを きらして正解を発表してくださいます。


クイズ子:このコート、意外に安かったのよ。いくらだと思う?

ノーマル子:わからないねー。

クイズ子:あてずっぽうでもいいから言ってみて!

ノーマル子:うーん…見当もつかないねー。

クイズ子:あぁぁぁあああ!もう!2万円よ!にまんえん!!!!

ノーマル子:フーン……。


【レベル2】想定以上の解答をして話を台無しに

クイズの出題者は、クイズの答えを受けて、「残念でした…正解は」→「え~~!」という展開を期待しています。これを「残念でした…正解は」 →「なーんだ」という展開にすると、失意のどん底を味わうことになり、涙ながらに「二度とクイズなど出すまい」と決意してくださいます。

クイズ子:このコート、意外に安かったのよ。いくらだと思う?

ノーマル子:1円!

クイズ子:……。

     そんなに安いわけないじゃない…2万円。

ノーマル子:意外っていうから1円くらいかと思ったんだけど、普通の値段だよね……

クイズ子:……。


【レベル3】不当な景品の要求

レベル1・2を繰り返してもクイズをやめないクイズマニアには最後の手段を講じるしかありません。クイズについて、最悪の形で話の腰を折る方法が、不当な景品の要求です。

クイズ子:このコート、意外に安かったのよ。いくらだと思う?

ノーマル男:当てたらオッパイ触らせてくれる?

クイズ子:じゃあもう当てなくていいよ!

提示する景品をえげつないものにすればするほど、出題した側の意欲を削ぎますので、あなたのご立腹の度合いに応じて景品を提示してみてください。



うざったい会話中クイズに悩まされている善良なみなさまにおかれましては、以上を参考にして、クイズフリーな生活を送ってくださいませ。

多くの人々を納得させたり、彼らになんらかの効果を及ぼしたいのなら、物事を断言すればいい。 自分の意見の正当性を、あれやこれや論じてもだめだ。そういうことをすると、かえって多くの人々は不信を抱くようになるのだ。 自分の意見を通したいなら、まずは断言することだ。
538: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2015/08/04(火) 23:56:16.31小さい子がパパ嫌いって言うのは凄く喜ばしいことなんだぞ嫌いって言えるのは、嫌いって言っても自分のことを愛し続けてくれるという絶大な信頼があるから言えるんだそうな虐待受けてたり、親に粗雑に扱われてる子は間違っても嫌いとは言わないんだと三歳の娘がパパ大嫌いって言うようになったって保育園で相談したら園長先生に言われた受け売りだけどな

地元は田舎だからか両親ともに兄弟が多くて、いとことか30人くらいいるんだけど、その中で大学に行かせてもらったのは俺くらい。

俺の両親は、他のいとこが次々と中卒・高卒で働き始めたりしているのを横目に、頑張って俺を大学まで行かせてくれた。

両親が大学まで俺を行かせたかった理由としては学歴コンプレックスもあったのだと思うけど、それ以上に今後生きて行く上で大切な友達や結婚相手の階層のレベルをあげてやりたいってことがあったのだと思う。

実家に帰ると、親戚の誰それが結婚した、でも結婚相手はどうしようもないバカでパチンコばかりで家族そろって金を無心にくる、という似たような話がゴロゴロ。

不倫・バツ1・再婚・生活保護・パチンコ・ギャンブル・騙した・騙された・蒸発、、、あげれば切りがないけどそんな話がゴロゴロゴロゴロ。

ほんと、子供がDQNの家庭は親も間違いなくDQN。

俺の両親は2人とも低学歴だが、そういう世界に本当に嫌気がさしていたんだろう。

今思うと、きっと両親はそういう「低学歴の世界」が常識な親戚から俺を遠ざけたんじゃないかと思う。

いつの頃からか、他の親戚連中とは距離を置くようになっていて、気付いたら俺もいとこ達とはあまり会わないようになってた。

大学にもやれないような、子供の将来よりお金の無心しかしない人を騙すしか能のない親の元で育つ子供はバカになるし、バカとしか結婚できないんだ、そして親と同じことを繰り返すんだと両親は良く嘆いてた。



- 低学歴と高学歴の世界の溝 (via raitu)
(via tkdsngn)

小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。

「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。

2ちゃんねるレスブック:おまえらの好きなコピペ

quoted by deli_hell_me:

11 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 :2007/08/01(水) 07:47:06.67 ID:oxdBXHzs0 
»1 
昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、A君のサインを発見いたしました。

N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校しなければならないような
過疎地へ自ら望んで赴任されました。

N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。
A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。

「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。
みんなはもしかしたら、 見たこと無いかもしれない。
ユトリロっていう、フランスの人でね、街や 風景をたくさん描いた人なんだけど。
空が、綺麗なんだよ。
A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
だけど、決して取り戻せない物ではないのです。
そして、A君は それを一生懸命自分のものにしようしています。
これは、簡単なことじゃありません!」

A君は、空を描いた絵を送るそうです。
その空はN先生が作り方を教えた、
美しいエメラルドグリーンだそうです。

(via veadar)

(via tsupo) 2008-07-07 (via gkojay, jinon) (via quote-over100notes-jp) (via tatsukii) (via slowsteps) (via chiyozi)

(via naotake)

(via rosarosa-over100notes)

(via nwashy)

(via kamma-jp)

(via bochinohito)

(via layer13)

(via pochack)

(via kkyyxxx)

(via abc—5)

(via sz0320)

(via yosuke1200)

(via inuccosan)

(via highlandvalley)